運動と食事を変え
超高齢社会を乗切る

医療法人社団青山会

超高齢社会の訪れにより、引き起こされるさまざまな課題をを地方の小都市から乗り越えたい、と高齢者や子供たちを中心に地域の人々のケアに取り組んでいる医療法人社団青山会の田場隆介理事長。「生まれ持ったDNAが運命ではない。運動や食事など環境が健康を左右する」と語る田場理事長に、より自立した老後を迎えるためのライフスタイルの改善の重要性について聞いた。

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遺伝子ばかりが運命ではない

第一次ベビーブームに生まれた団塊の世代が75歳を超え、後期高齢者となり、医療費や介護費の増大、それに伴う現役世代の負担増などが懸念されるのが”2025年問題”だ。のは、。「運動こそ医療」という考えを持つ医療法人社団青山会の田場理事長は、内科や小児科のクリニックのほか、運動療法の施設を運営し、生活習慣病の予防や治療に対して、内科診療と合わせて、医療としての運動を提供している。「2040年には、団塊の世代の子供たちも高齢者に。2025年と2040年。この二つの山を地域から乗り越えていきたい」と意気込む

田場理事長は「我々はそれぞれ遺伝子、DNAのプログラムに生活習慣病など、病気に対しての“なりやすさ”を持っています。その発症タイミングを人生の最後の方に持っていきたいと考えるならば、生まれ持ったものを行動面から変えていかなくてはいけない。そこで必要になってくるのが、運動、そして食事です。これを改善すれば、生活習慣病を発症する時期を遅らせることができ、予防医療にもつながります」と説く。

田場理事長は、病気に対しての遺伝的な要因は3割以下、残りの7割は環境で決まるといい、。「遺伝子ばかりが運命ではない。人生を決めるのはライフスタイルです。医学というものは真実に近い学問ではありますが、“不確実性”と“もっともらしさ”の科学でもあります。DNAが全てではないという不確実性をライフスタイルの変容によって強固な形にしていきたい。そう考えています」と語る。

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実体験を通して得た「運動こそ医療」

自立した老後のためには30~40代の中年期の早いうちから運動習慣を身に付けることが必要だという田場理事長が、運動療法に注力するようになったのは、自身が自己免疫疾患になったことがきっかけだった。「自分が病気を発症したときに、運動を一度真剣に見直してみて、運動には抗炎症作用があると実感したんです。何より主治医が『これまで同じ病気の患者には運動しない方がいい、と伝えていたけど君を見ていて考えが変わった』と話してくれたのがうれしかった」と振り返る。

実体験を通して得た「運動こそ医療」だという考えには、食事療法も欠かせない。「運動と食事は表裏一体。一緒にやらなくては意味がないんです。今、欧米では抗炎症食というものがメジャーになっています。いわゆるパンや米など白いものは抗炎症作用がない。色のある野菜を食べるべきだというものです。白いものは食べた後にインシュリンが大量に放出されるため、多幸感があり、依存しやすい。患者にとってはあまりうれしくないものかもしれませんが、依存のスパイラルをいかに断つか、という部分にもあえて挑戦したいと考えています」という。

また、生まれ持ったDNAが運命の全てではない、という考えから、田場理事長は自閉症やADHDなどの子供たちに向けた児童発達支援事業にも力を入れている。「新生児の治療に携わる中で、生まれたときに成長が望めないかもしれないと思った子供たちが、その予想に反してすくすくと育っていく姿を多く見てきました。子供は手をかければかけるほど、力を発揮する。その可能性を信じてあげたいと思い、発達支援事業にもウェートを置いています」と力説する。

高齢者に対しては、医療面のサポートとあわせリハビリテーション施設で日々の健康を支えている。亡くなるその日まで、人間は発達し続けるものというのが田場理事長の信念だ。田場理事長は自らを、子供から高齢者まで、地域の健康と生涯発達を支援する「まち医者」だと語る。「まずは地域の一人一人に寄り添い、運動や食事からライフスタイルを変えていきましょう、と啓蒙する。それが、その方の人生を豊かにするだけでなく、今後の超高齢社会を乗り切るための一歩だと考えています。よどみなく流れる川のように人間は変わっていくものですから、その変化に対して自分たちも常にフィットしていきたいと考えています」と話す。

自分のライフスタイルを見直し、変えることで健康寿命を延ばし、ひいては超高齢社会の医療・介護問題の解消につなげる。田場理事長は、生まれ育った地元での地域貢献から全国に広げようとしている。

医療法人社団青山会理事長

田場隆介

1972年、兵庫県三田市出身。1997年、岩手医科大学医学部卒業後、聖路加国際病院、淀川キリスト教病院、日本赤十字社医療センター、神戸市立医療センター中央市民病院で勤務。2009年、医療法人社団青山会を継承。生まれ育った地元への地域貢献への思いも強く、自ら「まち医者」を肩書としている。