近江牛の6次産業化
4代目社長の挑戦

大吉商店株式会社

国内のみならず、海外でも人気の高い和牛。その中でも最高品質といわれる日本三大和牛の一つ「近江牛」を手がけている大吉商店の永谷武久代表取締役は、明治時代から続く老舗の4代目として事業を6次産業化するなど、伝統を守りつつ、新たな挑戦を続けている。

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クオリティーに情熱をかけ、ブランド化する

創業は明治29年、曽祖父が小さな精肉店からスタートした。現在二つの牧場を持ち、肥育から精肉、加工品販売、外食、産地直販まで、畜産業界では珍しい6次産業化を実現、さらなる事業拡大を目指している。永谷代表は「牛は工業製品ではないので、希少部位に関しては安定した供給が難しいのですが、我々は自社の牧場で育て、精肉することで、その供給サイクルを自分たちで作れる。ニッチなマーケットで勝負できるのが強みです」と胸を張る。

父が急逝し、23歳で代表に就任した永谷代表は、右も左も分からず、目の前のことを片付けるので精いっぱいだったが、新しいものを生み出しやすい時代背景もあり、まだ小さなマーケットだった産地直送や高級食材を扱うデパート地下の食品売り場に目を付け、事業を拡大していった。「日本人は安い金額で便利なものを生み出すのがうまいし、世界中からその需要がある。ただ我々のような中小企業がそれをまねしても通用するわけがないし、生き残れない。だったら、その能力をクオリティーの高いものや希少価値のあるものに使うべきだと思った」と振り返る。先代が手がけていたローストビーフを復刻し、モンドセレクション金賞も獲得した。「自分たちのクオリティーに情熱をかけ、ブランド化する」という思いは、今の理念にもつながっている。

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付加価値や希少価値の高いものが売れる

4代目を継いだ永谷代表は「伝統を守りながらも新しいものを付け加えていきたい」という思いを常に持ち続けてきた。「精肉店ひと筋で生きてきただけですが、心が折れそうなときはいっぱいありました。でも、やっぱり4代目なので曽祖父からつないできてもらったものを大きくしたい。今もまだ先代たちには勝てていない、と思っています。ちょっとでも近づけたらいい、というのが目標です」と語る。永谷代表は6次産業化を実現するまで、事業に全く面白味を感じられなかったという。曽祖父の時代には近江牛を育てていたが、父の代に肥育を止め父の死後にBSEの影響などを考え、再び自社で生産まで行うようになった。永谷代表は「我々のような肥育農家は、繁殖農家が生後8カ月くらいまで育てた子牛を買って育てるのですが、繁殖農家はその競り場、子牛市場が最後の別れになる。家族のように思って育てている人が多いので、胸が熱くなるんです。その気持ちを受け継いでいく、と思うとそれが事業に向き合う情熱になりました」と説明する。

また、新しい仕掛けとして、京都にある自社の和食料理屋で、和牛のみのコースメニュー「和牛会席」の提供も始めた。アジア圏を中心に近江牛の輸出する中、香港やシンガポールで、日本人では考えられないような大胆なアレンジを加えた和食に触れたことから、固定観念にない和食を近江牛で表現したいと考えた。10種類にも及ぶ希少部位を斬新な形でメニュー化した和モダンテイストの和牛会席は、生産から流通までを手がける肉専門店ならではだ。永谷代表は「『独創的なことばかり考えますね』といわれますが、ひらめいているだけで、才能なんてないと思います。思い返すと、父が作っていたローストビーフも地元のこだわったしょうゆを使うという特殊なものでした。それをまねしているだけかもしれません」と語る。

近江牛の世界展開も積極的に推し進めている永谷代表は「日本は世界に取り残されてしまっているように感じています。安いから売れるという時代は終わり、我々が自社の近江牛をブランド化したように、技術やスキルが必要な付加価値や希少価値の高いものが売れていくような、消費構造や消費マインドが高まっていくと思います」と指摘。後に続く人たちに向けて、「高いから、売れる。 125年続く近江牛の老舗社長が教えるブランド管理術」(イースト・プレス)を出版した。印税は小学校に寄付するといい、「自分が先代たちにあこがれたみたいに、後輩にも同じ気持ちを持ってもらえるようにかっこよく生きたい」と笑顔を見せた。

大吉商店株式会社代表取締役

永谷武久

1969年、京都府出身。1992年、先代の父が急逝し、23歳で4代目社長に就任。曽祖父が明治時代に小さな精肉店として始めた同社の6次産業化を実現した。

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